スポンサーサイト
- 2024.01.16 Tuesday
一定期間更新がないため広告を表示しています
- -
- -
- -
たとえ
牛に引かれて
善光寺参りでも
いいのです
そこまでゆけば
あとは
あなたの守護霊さんが
守護神さんが
つないでくれます
私は
考えたことが
ありません
考えることを
やめた
というのではなく
むこうから
流れが
やってくるのです
みんな
五井先生が
しゃべっているように
おもうでしょうけど
ただ
私は
場所を
神様たちに
貸しているだけ
空っぽなんですよ
何にもありゃしない
呑気なもんです
だから
私ほど
世の中に
呑気者はないと
おもってるんです
だって
全部
任せちゃってるんだからね
人まかせじゃ
ないですよ
神様任せ
みんなも
そうなのよ
だから
余分なものは
全部神様に
預けて
身軽になり
ましょう
光というものは
我々を
おおって
いるのです
前もうしろも
左も右も
光だらけなのです
肉体も
そして
このいのちも
つらぬいてしまって
ただ
かがやいているだけです
何にもおもわない
それでいて
すべてをてらしている
光とは
こういうものです
人間とはこういう
ものなのです
昭和62年2月11日
神様というのは
至るところに
みちみちているんです
バーゲンセールみたいに
安っぽく
そこにもあるここにもある
というんじゃないんですよ
もう充実してね
充実し切って
みちてるんです
たとえば
青空というのは
あれは神様のこころです
そらも
うみも
神様の
広い広いこころを
あらわしている
そこら中
みつけようとおもえば
至るところに
神様の
いのちが
あるんです
このことを
神様はあらゆる
万象のなかに
美となって
よびかけておられるのです
愛は
互いに
抱き
おもう
こころを
いうのです
神様は
ずっとずっと前から
私たちをいだいて
下さっているのです
祈りというものは
人を素直にさせます
はだかの心で
神様とはなすからです
これを
ずっとつづけてゆくと
無一物になります
そして
光のなかに入ってゆくのです
このからだ
痛みを感じても
辛くなっても
たとえ心臓が
とまろうと
すべてはみ手のなかに
あるのだという信仰を
持つことが大事なのです
この信仰を助けるのが
私なのです
光の橋を
渡る
光の橋を
かけるということは
愛とやさしさを
心に生みそだてると
いうことです
親しい人々へのやさしさから
それははじまってゆきます
そうしてこのことは
ちっとも恥じることじゃない
ごく自然なことなのです
人間の
やさしさを
行じてゆく人
善意を行じてゆく人
しかも
なまなかな
行じ方でなくって
とらわれやこだわりから
離れている人
そういう人が出てこなければ
嘘なのです