さやけき生命(4)

  • 2019.07.18 Thursday
  • 09:44

       (前日から続く)
世界平和の祈りというのは、そんなものではない。
世界平和の祈りというのは、皆んなが光一元の
生命ですよ、本当は皆んな迷ってないんですよと。
でもそれを言ったら、じゃあ迷った人は
救われないのか、迷ってるあなたが悪いんだという
ことになると困るから、それは消えてゆく姿ですよ、
大丈夫ですよと皆をこうして連れて来たわけです。

 

だけれども、今地球の進化のスピードが非常に速く
なって来ている。

そこに肉体人間が肉体つけたままで、その進化の

スピードに合わなきゃいけなくなっている。

速度を合わせなきゃならなくなって来てる。

だから、そのずれがあるから非常にみんな辛い。

個々の運命というものも、ハイスピードで

良くなったり悪くなったり、揺れもどしが来たり、

地震が来たりと、現われては消え、現われては

消えている。
今まではゆっくり歩いてよかったのが、ちょっと
少速歩になったり、強歩になったり、ある時点では
走ったり、小走りになったりしなきゃいけない。
今までそんなこと無かったから、一体どうなって
いるんだろう、どうなるんだろうなんですよね。

 

雲仙でもそうです。

あれもやはり一つの現われですね。

地球を本当に浄化して霊化させてゆく。

肉体波動なんか持たなくても、霊体で行ったり

来たり出来るくらいの地球になってゆくわけで、
雲仙の噴火で亡くなられた人たちの本体は、それを
知ってるんですね。

でもそんなこと言ったって、残された人たちは

たまらない。
            (翌日へ続く)

さやけき生命(3)

  • 2019.07.17 Wednesday
  • 11:57

          (前日から続く)
光というものは、どんなにでも働くんですね。
神様は光の元の元です。

神様というのは、どんなふうにでも人に

現われて来る。

その現われて来る時は、いい現われかたばかり

ではないんです。
非常に手の込んだ、もって廻った現われかたも
あるのです。

悪役も一人や二人置いといて、喧嘩をさせたり、

いろんなことさせたりして、神様が何故
こんなことまでされるのか?というような体験を
させて、人間の出来をもっと上にあげようとする。
だから光によって全部ワーッと良くなるかというと、
そうでもないんですよね。

それは御利益信仰と同じことになる。

 

ですから、ごほうび上げますよと言われたら、
その通りのものがポンと来ると皆思ってしまう
でしょうが、その人は何十生何百生何千生かけて
やって来た、いろんなことがあるわけですね。
いいこともあるし、悪いこともあるし、
過(あやま)ちもある。

それらが混合されて、生命の糸をつむぐように、

今いろんなことに現われて来ている訳でしょう。

その中で人間が、消えてゆく姿の中で、ただ

一つの光の自分を見つけていくためには、

ものすごい苦労が要るわけですよね。

だから、要らないものはもうけっこうですと、

もう辛いことはけっこうですと言いたくなる。

みんな言いたくなる。

 

ところが、その人の前生に借金がまだ払って
いないものは残っているんですね。
四次元の光が降ろされ、世界的にも個々人にも
いい方向へ行くんですが、ただその人が固有に
自分で消さないといけないものは、やはり皆、
それぞれに持っているわけで、その分だけは
なんか苦労がまだあるなぁーという
感じなんですね。

 

しかし、神様は平等だから、絶対に皆んなを
幸せにするんです。

だからそこに信を置けば、どんなものが来ようと、

たとえ自分が八つ裂きにされようと、そこで

「ありがとうございます。」と言って死ねるん

ですが、そういうわけにはゆかないのが

人間ですね。

何でこんなものが自分のところへ来るんだろうと、

御神水も飲んでるし、富士にも行ってるし、

いっぱい愛行やっているのに、いろんな活動も

やっているのに何故なんだと。

これは、御利益信仰になってきたら、うちの

信仰はだめだ。
             (翌日へ続く)

さやけき生命(2)

  • 2019.07.16 Tuesday
  • 10:19

       (前日から続く)
ところが皆さんは、祈ってゆくんだけれど、
生活というものがあって、経済というものがあり
雑事があって、また、肉体を持っているから、
食べたり飲んだりしゃべったりしなくちゃ
ならなくて、雑事を片付けてるひまに、祈り
というのがどこかへ行ってしまう。

本体は祈ってるんですが、肉体の方は雑事を
優先してしまう。

本体は、肉体の我々がどんなに雑事にまぎれて

いようが何していようが、祈って祈って

祈り抜いているんです。

見えていないけれども、ずっと祈り抜いている

わけですね。
だからその祈り抜いているいのちというものが、
常に神様と出会っているし、神様と話を

しているし、神様といろんなことを語り合って

いる、呼び合っている。


そうでないと人間は生きてゆけないんですね。
我々のもとのもとは、神様の愛によって
生かされているわけで、その清(さや)けきいのち
というのは、自分の中にあるんです。

自分の中というのは、肉体の中という意味じゃなくて、
自分の本体、神様から分けられて来た光の中に
あるわけですね。


そのことを知っている人は少なかったんですが、
今はもうそんなことを言ってる場合じゃなくて、
いろんな人が印を降ろしたり、光を降ろしたりして、
実際に我々が神様のもとにある生命なんだと
わかってきた。
我々のいのちの親というものが神様であって、
その神様の大宇宙神の目指しておられるところは
大調和であり大愛であって、我々は大愛の子
なんですよね。

大愛の子というのは敵も味方もない。
大愛の子のみんなが、世界人類が手を取り合った
時には、真実の平和が築かれていかないと
うそになる。

そこで争いなんか起こって来たらこれはもう

うそになるんですね。


それでも起こって来ることがある。

つまりそれは、平和の祈りが足りないからだと。
足りないというのは、平和の祈りそのものは
輝いているし足りているんですよ。

ところが、そこに想いを向ける自分が足りない。

肉体が悪いわけではないけれども、何が

足りないのかというと、自分が肉体だけの

生命ではない、自分は神様の愛によって

生かされていて、神様から来たものであって、

その神様というのは、我々の大きな器を与え

光を満たして下さっている。
そういう時間が非常に少ない。

だから足りなくなって来る。


こんなんでいいのかと思う。

こんなんでやっていけんのかと思う。

月給が入って来ない、いろいろと

どうしようかなと思う。

これ全部消えてゆく姿ですよね。

たとえお金が無くても、光が入っていることに

気が付けば、お金なんてものはあとからついて

来るんだけど、人間というのは、やっぱり

生活してゆかなくちゃいけないから、お金が

無かったらやっていけるのかと思うことが

先にあって、光が入っていることには
気が付かない。

光を糧(かて)にしてゆくとお金が逆に入って

来る。
生かされているということを自分のサイフの
中に入れると、実際にこの肉体を養ってゆく
もとであるお金が入って来る。

逆なのね。
皆んなお金を求めて光を後にしてしまう。
         (翌日へ続く)

さやけき生命(いのち)(1)

  • 2019.07.15 Monday
  • 07:06

さやけき生命というのは、何ものにも
こだわりのないいのち。

こだわるもこだわらないも、光っている生命。

それはどこから来るかというと、神様から

来る。
それを我々はいただいている。

その頂いているものが途切れないためには、

祈りの生活をしてゆかなくてはいけない。

いけないというよりも、祈ってゆかないと

生きてゆけないように我々の身体というものは

なってるわけです。
だから、祈ってゆく時に、我々は息をする事が
出来るし、魂も呼吸することが出来る。

霊も輝く事が出来る。

世界平和の祈りというのは、我々の肉体にも

霊体にも神体にも、すべての世界、三界にいる

我々自身に対して光を与えてゆくことが出来る。

 

そういうことを言っている訳ですね。
清(さや)けき生命というものは、神より来る
と言いましたけれども、神様と我々は、昔は
目に見えるかたちで耳に聞こえるかたちで、
感じるかたちで、手に触れるかたちで、縦にも
横にもつながっていたのですが、この世
というものが出来て、それで我々が地上に
降りて来た時に、肉体という衣をまとった時に、
だんだんとその粗い波動の中に入って行って、
そのことによって我々は、神というものを、
なんかひとつスリガラスを隔てたような、
そういうかたちで見るようになってしまった。

 

最初そんな遠いものではなかったのが、
だんだんと神様が雲上人になって、神様なんて
居るのかしらと。

人間世界の科学技術が発展し、哲学もすすみ、

肉体をまとった自分が自分だと思ってしまった。

そこから神と自分は容易につながらなくなった。

 

19世紀の末なんか、世紀末というような
思想が起こって来て、神は死んだなんていう
ことになって来たんですが、皆んながそれぞれに、
今また神様を求めることを、ブームみたいに
なっていますけれども、自分がどこから来たのか、
どうなるのか、こんなに今不安になっている
時代はありません。

なぜ不安になっているかというと、神様のことを

皆んな聞いたり求めたりするけれども、自分が

神様に守られているということを実感出来る

ことが、とても少なくなっている。

だから不安になるわけです。

 

神様の守りを実感するにはどうすればいいか
といいますと、これはもう祈ることです。

それしかないんですね。

祈って祈って祈り抜いてゆくと、光しか

残らなくなる。
これは真実なんです。
            (翌日へ続く)

自殺した人の霊について(子どもの自殺も含む)

  • 2019.07.14 Sunday
  • 10:09

 (問)自殺した人の霊はどうなるかという
ことをお教え下さい。

 

 

 (答)どこへ行くかということですか。
自殺するって、本当にいろんな原因があって、
誰も自殺したくってする人はないんだけれども、
ただ稀に菩薩行で自殺する人があるんですよね。
全部業を引き受けちゃって、そういう自殺の
場合は、自殺しても苦しい世界に
行かないんですよ。

自分が全部引き受けて死にますのでね。 

 

 

 

 (問)子どもなんかどうなんですか。

自殺しますが、あれなんかどう解釈したら

いいのか、また、残された遺族の方に

ついては。

 

 

 (答)あれは本当にね、菩薩行も
あるけれども、あの多くは、何か遊ばれてね、
いろんなものにとり憑かれて死んじゃう

という事あるんですよ。
つまり、それこそ幽界の低級霊なんかに憑依
されてね、あるんですね。


それはその人が、神様を信じないから良く
ないとかそんな事私は言うつもりは全く
ないけれど、結局何故そうなるかというと、
親が子どもを本当の意味で愛しているか愛して
いないか、つまり、愛情のすれ違いがあるのか
ないのか、そういうところなんですよ。
気持ちが通い合っているのかいないのかね。
相手を理解しているのかいないのかという、
そこがすれ違っちゃうと、人間というのは
寂しくなるんですよ。

どんな小さな事柄でもね。


おそらく小学校卒業するくらいまでの

子どもで、自殺を考えなかった子どもというと、

今ほとんどいない、100人の中99人まで

自殺を考えたという子どもが、沢山いるんじゃ

ないかしらね。
それは異常なことだというんじゃなくて、
人間というのは生きてゆく中で、死んで
しまいたいという事が何度も何度もあって
そこを越えて生きて行く訳ですよね。
ところがその子どもたちの場合は、子どもで
なくていいけれども、自殺してしまう人
というのは、そこのところが自分の心にも
歯止めが効かないし、誰も止めてくれない
という絶望感があって、そこで死んじゃう
訳なんですよ。


それはその人の因縁とか何とか、宗教的に
みれば前生がどうのこうのとあることは
あるけれども、だけれども、そんなんで
片付けられたんじゃあまりにも寂しいわけ。
それよりは、本当に親が親の役目というか、
親が精一杯子どものほうを向いて、いろんな

面から子どもの人生を考えて、腹を立てずに

見守って、子どもは子どもで親にちゃんと

伝えてくるのかどうか、その辺の基本的な

ところでね、今、親は親になってない、

子どもは子どもになっていない、お互いに

影響して非常に悲劇になって来ていますよね。

その辺のところだろうと思うんですよ。


だから、想いを放つというか、親が子どもに
対して、自分はこれだけお前を見守って
いるんだよという、本当に心配しているんだよ
という、その心が届いていれば子どもは死なない
訳ですよ。

本当に自分を見守ってくれている人が

この世の中に一人でもいると、親が駄目なら

友だちがね、そういう人が居ると思えば
人間というのは死なないんですよね。

自分が必要な存在なんだと思えば

死ねないんですよ。
そこのところが皆、今ぎすぎすして駄目に
なって来ているでしょう。
ですから、まず子どもが子どもがと言う前に、
子供がどうやって生きていくか不安だという
前に、じゃあ親はその子どもに対して、あるいは
親であることに対して、自信を持っていますか
というね、それぞれがみんな自信を持って
生きるという事に対して援助が足りないん
ですよね。

お互いにね。

自分のとこだけ良ければよいという、それだと

皆が成り立ってゆかないんですよね。


だから私は、私のままでいい、貴女は貴女の
ままでいいから、そのままでいいから一緒に
頑張って行きましょうと。

それがお互いに、ああ私はこれでいいんだな

という自信をつけてゆくということに

なりますから。

ああありのままでいいんだなという。
だから、私の言ってる、消えてゆく姿で
世界平和の祈りというのは、その自分なりの
素のまま裸のまま、無一物のまんまでいいから、
後は全部神様が下さるから、そこで人間の
素直な裸の自分を出していく事に恐れないで、
必ず愛情は後ろにあるんだから恐れないで
という事を言う訳ですよね。


そういう限定されない神様の愛というものを
皆知っていれば、自殺なんてしないんですよ。
人間の生命が続いていくということを知れば、
本当に死ぬ人なんて一人もいなくなるんですよ。
ですけど、一足跳びに宗教というよりは、まず

現実的に親も子どももそれぞれ現場の中で
ちゃんと生きているか、今どうなっているか、
歪んじゃいないか、その辺の所に目配りして
気配りする人が増えてゆけば、隣の子どもが
ああいうふうに言っていたが、あれはどうなった
だろうという、その想いをあげてゆけばね、
行動しなくても想うだけでも、その光が届いて
行く訳ですよ。

そういうまず、心を豊かにする、気持ちを

やわらかくする、そこから始まっていかないと、

これは救いようがないですよね。
だから、自殺するのはどうしてだろうというのは、

それは寂しくって悲しくって辛くって

仕様がないから、そこでどうしょうもなくて、

自殺しかないんですよね。

そこの孤独地獄から救っていかなきゃいけないん
ですよ、自分も人も。
それには自分が心豊かに生きるというね、
自分だけがいいというんではなしに、自分が
心豊かに生きるということになれば、
まわりも豊かになってゆく。

回り道みたいだけれども、そこから始まって

ゆかないと、人間が永生で永遠の生命を

持っていて、明るい朗らかな神様の生命

そのものなんだという所までは、なかなか

行かない訳ですよね。


ですから、あなたのまわりで、そういうふうな
気になる子どもとか親とかいたら、ほんの一瞬で
いいから想いを放って上げてね、ああ、
あの人も辛いだろうなあと、それだけで
いいんですよ。それがくい止める事に
なるんですよ。

生命を救うことになっていくんです。

 

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