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    人生はあせらずに

    • 2011.02.28 Monday
    • 09:22

       〇
    そんなに
    力まなくても
    ちゃんと
    なってゆくように
    なっているのです
    そんなに
    あわてなさんな

       〇
    ゆっくり
    ゆっくり
    楽しむ
    そういう
    心持ちで
    人生を歩いていきましょう

       〇
    私は

    せっかちで
    短気だった

    それが
    残っているのは
    早口
    くらいのもの
    こころは
    ゆったりしてしまった
    何故かといえば
    人間の本体を
    みせられたから
    人の心は
    残ってはいるが
    人間はあせる必要がない
    私は
    私がしたのとおなじ経験を
    消えてゆく姿で世界平和の祈り
    というこの方法をとおして
    すべての人に味わってもらう
    そして解脱して光のいのちを生きる
    その生命(いのち)を得させるために
    今も働いているんだ

                 平成2年3月10日

    信を堅めること

    • 2011.02.27 Sunday
    • 10:58

        〇
    信を堅めることが大切
    何があっても
    よくなるんだ
    とおもうことが
    大事です

        〇
    人はつい
    自分がやろう
    としてしまう
    精一杯努力することは
    大事だけれど
    自己ピーアールのために
    自分がやろうとしたら
    いけないよ

    神に任せて

    • 2011.02.26 Saturday
    • 09:25
    私は
    神の光の流れのままに
    すべてを
    語ってゆく

      〇
    私には
    こころを
    騒がせるものが
    何もない

      〇
    一切を
    神に任せて
    呑気な
    五井先生

      〇
    涙をふいて
    さあ
    私がいるよ
    私と一緒に
    祈ってゆこう

    神はすべてをいい方向へ持っていかれる

    • 2011.02.26 Saturday
    • 09:14
         〇
    神は
    すべてのものを
    よしとして
    いい方向へ
    持っていかれる

        〇
    すなおであればいい
    ただ
    すなおであれば
    いいんだ

        〇
    こうしたら
    悪いんじゃないか
    ああなるんじゃないか
    こうなるんじゃないか
    と思わずに
    思い切って
    やってごらんなさい
    あなた一人じゃない
    守護霊守護神が
    そして私が守ってるんだから
    決して
    悪いようにはなってゆかないよ

    人は新生しつづけてゆく

    • 2011.02.24 Thursday
    • 10:16

    つねに新しくされてゆく
    ということ
    新しい自分にかわらされている
    ということは
    いいかえますと
    つねに
    古い自分を脱ぎ捨てている
    ということであります

    肉体人間の想念というものは
    つねに
    自分の境界線を
    守ろうと致します
    たとえば
    それは
    家族であったり
    財産である
    というような
    目にみえるものばかり
    ではなく
    自分の心という
    他者からは
    見えることのない
    ものも
    必死になって
    守ろうと致します

    それが愛着から
    仮にはじまったことである
    と致しましても
    それは
    やはり
    とらわれになり
    こだわりになる
    いうならば
    自分でも
    気がつかない間に
    自ら業想念の
    世界の渦のなかに
    まきこまれていることが
    多々
    あるのであります

    かぎられた
    肉体界
    また
    肉体人間のおもいに
    とらわれておりますかぎり
    真に
    自分があたらしくされてゆく
    ということは
    想起だにできない
    ことでありましょう

    これまで
    幾多の聖者方が
    この地上に降りて
    道を切りひらかれながら
    世界中の人々が
    心をひとつにして
    この肉体以上のものに
    無理なく眼をむけるという
    ことは
    遂に成就されぬまま
    時代はすぎていったので
    あります

    ところで
    わたくしは今
    あえて
    祈りという
    言葉を
    用いなかったのでありますが
    つねに新しくされる
    ということは
    ただ
    肉体のおもいに
    とらわれているだけでは
    とうてい
    かなうことでは
    ありません
    私どもが
    真実
    新生しつづけるためには
    絶えざる祈りというものが
    絶対に不可欠なので
    あります

    本来
    人間と
    申しますものは
    その本体は
    たとえ
    無神論者であっても
    また
    唯物論者であっても
    ずっと
    その姿を
    観じ
    生命を
    観じて参りますときには
    等しく
    みな
    祈っているもの
    なのであります
    その本来の姿を
    地上の
    肉体界の
    粗い波動のうちに
    生きる間に
    すっかり
    忘れ果ててしまって
    いる
    というのが
    現代の人間の姿なので
    あります

    人は皆
    空を
    飛ぼうと致しました
    そして
    その夢を実現するために
    さまざまに
    工夫がなされ
    研究がなされた
    のでありますが
    同時に
    そこには
    敬虔な
    祈り心
    というもの
    神を
    また
    自然を
    この宇宙を
    畏れる心
    というものが
    存在していた
    のであります
    憧れと畏れとが
    交叉し
    そこに
    さまざまな科学が
    あらわれることに
    なったのでありますが
    これらは
    すべて
    神のみこころに
    よって
    霊界の科学が
    降ろされていた
    というのが
    真実のすがたなのであります

    当時
    科学と人類の進歩に
    たずさわる人々は
    はっきりと
    意識して
    これらのことを知っていた人は
    ごく稀でしたけれども
    その本心本体では
    真実の姿を
    諒解していた
    ということが
    いえるのであります

    ところが
    だんだん
    世の中が
    すすむに
    したがって
    人は
    自分達の智恵と探求心が
    科学を生み出した
    と思いはじめ
    畏れはじょじょに
    失われて
    いったのであります
    そして
    旧約聖書の
    バベルの塔ではありませんが
    もはや人間は
    神を必要としない
    というところまで
    自分達自身を
    追いつめて
    業想念波動を
    つよめてゆくこととなったので
    あります

    私は
    人間が
    神の分生命(わけいのち)
    分霊(わけみたま)であって
    業生ではない
    ということを
    身をもって
    知っている者です
    ですが
    それは
    あくまでも
    自分達のいのちを
    守らしめている
    神の愛念に対する
    絶えざる
    感謝行
    祈り
    というものが
    あってはじめて
    業生ではない自分
    光かがやく自分
    というものも
    あらわれてくるので
    あります

    人間は
    ただ
    お金をもうけるために
    働いて
    飲んで
    喰べて
    というような
    単純な存在ではありません
    肉体を持っている以上
    肉体をいたわり
    肉体を養っていくことも
    大事な
    ひとつの
    つとめではありますが
    それ以上に
    さながらの生命に
    生かされている自分
    朗らかな光のいのち
    としての自分を
    みつめて
    感謝して
    生きてゆくこと
    これが
    何よりも
    大事なことに
    なってくるのであります

    肉体の自分と
    朗らかな自分とは
    別の自分ではなくて
    実は
    明るく朗らかな
    光にみちた
    いのちのながれそのものの自分
    というもの
    つまり
    本心の自分というものが
    肉体の自分を導いて
    いるのであります
    そして
    それは守護霊守護神
    神の愛念に
    よるのだ
    ということに
    気づかされるとき
    ひとりでに
    祈りというものが
    私どもの唇を
    突いて出ずには
    いられないのであります
    あるいは
    この久遠のいのちの流れと
    いうものの大元の世界へと
    目を向け
    あおぎみずにはいられないので
    あります

    人によって
    その存在を
    神と呼ぼうと
    仏と呼ぼうと
    あるいはまた
    自然と呼ぼうと
    宇宙と呼ぼうと
    それは
    自由でありますけれども
    とにかく
    人智というものを
    はるかに越えた
    大智慧
    大円光
    大愛の世界に
    ぬかづいて祈って
    参りますときに
    人は
    その身内の最奥にある
    霊なるいのちと
    呼応して
    つねに新しくされる
    自分
    というものを感じてゆくことに
    よろこびを覚え
    古い自分を
    その都度
    脱ぎ捨ててゆくことに
    何ら
    こだわりを
    感じなく
    なるのであります
    私はこれを
    一切は消えてゆく姿
    今おこっていることは
    過去の自分自身があらわれて
    そして消えてゆこうとしているのだ
    だから
    よいことにも
    悪いことにも
    とらわれずに
    世界平和の祈りを
    唱えつづけてゆけば
    本当に
    光ばかりの世界が
    あらわれてくるのだ
    と説きつづけて
    参っているので
    あります

    私たちは
    永遠の進化を
    神のみふところのなかで
    その光をいただきながら
    遂げてゆく存在なのであります
    一切
    とどまるものは
    ありません
    しかし
    つねに私どもを
    つつむものは
    神の愛であります
    私どもは
    こうした
    無限の神の愛に
    感謝しつつ
    日々
    世界平和の祈りを唱え
    私どもの本心の光が
    少しでも
    この世界の
    そして宇宙の
    平和のために
    役立つものとなるように
    すごして参りたいもので
    あります

                平成2年3月10日

    祈りによって新しく生きてゆく

    • 2011.02.23 Wednesday
    • 08:43

    世界平和の祈り
    のなかに
    人間の
    本当のすがたが
    あらわれて
    いるのです

    明るく
    朗らかな
    いのち
    さりげなく
    やさしく
    ほほえんでいる
    いのち

    祈ってゆくにしたがって
    光につつまれた
    すがたが
    光を放っている
    自分自身が
    みえてきます

    そのすがたは
    最初は
    ひとりに
    みえるけれど
    よく目をこらして
    みると
    ひとりでは
    ない
    同志の人々と
    ともに祈っている
    さらによくみると
    友人知人
    とともに祈っている
    その守護霊守護神
    とともに祈っている
    あらゆる
    霊人とともに
    祈っている

    そして
    それらの人々の
    すがたが
    神の
    大円光の
    なかに
    吸い込まれて
    あなたは
    私の
    柏手と
    口笛のなかに
    統一しながら
    祈って
    ゆく

    あなたのなかに
    神の息吹きが
    あって
    それらが
    高く高く
    世界平和の祈り言によって
    澄まされ
    自在身(心)として
    自由に
    こころを
    どこにでも
    ふりむけることのできる
    あなた自身を
    見出してゆく

    一切は
    消えてゆく姿
    のこるものは
    神の光明
    神の大愛
    その
    神の愛と光の
    わかれである私たちは
    世界平和の祈りを
    唱えつづけることによって
    自らを
    永遠者のこころ
    久遠の光へと
    とけ込ませて
    ゆくのであります

    世界平和の祈りのなかに
    すべてがあり
    私どもは
    世界平和の祈りによって
    つねに新しく
    生きてゆくことが
    できるのであります

         平成2年3月10日

    五井先生というのは・・・

    • 2011.02.22 Tuesday
    • 09:44

    一体

    五井先生というのは

    個人では

    ないのです


    それは

    五井昌久に

    あらゆる

    神の愛の働きが

    移っている

    姿なのです


    ですから

    私は

    いつもいっていたように

    空っぽで

    ただ

    私というものは

    混沌の生命

    大元の生命の働き

    縦横無辺の

    神の愛の働きを識って

    朗らかに

    何もおもわず

    ただ

    人々を

    そのままに

    分生命

    分霊

    としての自分自身に

    それから

    神自身へ

    かえしてゆく

    人間を

    大神さまの

    神の愛へと

    かえしてゆく


    そういう働きを

    地上にあったときも

    そうして現在も

    これからも

    なしつづけているのであります

    ですから

    みなさんは

    安心して

    世界平和の祈りを唱え

    五井先生を

    よびながら

    毎日を生活して下さい 

                平成2年3月10日

    世界平和の祈りというものは・・・

    • 2011.02.21 Monday
    • 10:46

    世界平和の祈りというものは

    どういうものかと

    いいますと

    先ず

    人間の

    本来心に呼びかけるんです

    本心に呼びかけてゆく

    そして

    人間というものが

    この不自由な

    肉体界のみならず

    三界を

    自由に

    生きて

    神の光の分かれとしての働きを

    大神さまの

    みこころのなかに入り切って

    大愛のなかから

    祈りのうちに

    なしつづけることができるように

    なるために

    ここにも

    かしこにも

    存在しているんだ

    ということを

    頭ではなく

    からだで

    知ってゆく

    そういう

    祈りであります


    すなおに

    我々のいのちを観じてゆきますと

    本当に不思議な守りのうちに

    日々を生かされている

    それは

    いつも申しておりますように

    守護霊守護神の

    守りがなければ

    また

    神々の神霊方の愛念がなければ

    私どもは

    一瞬間も存在することは

    できないのであります

    それは

    地上ばかりのことではありません


    私どもが

    霊界移行をして

    修行の場をかさね

    統一を

    くり返して参りますあいだに

    この真理を

    一層

    肌身に沁みて

    教えられてゆくもの

    なのであります


    ですから

    何よりも

    ひたすらなる感謝行というものが

    人間にとっては

    必要になってくるのでありますが

    なかでも

    世界人類が平和でありますように

    日本が平和でありますように

    私達の天命が完うされますように

    守護霊様

    守護神様

    ありがとうございます

    という

    世界平和の祈りを唱えますときには

    私どもは

    光のいのちとしての

    自分自身の

    本心本体と

    すなおにむかうことが

    できるのであります


    もしも

    何かのおもいにとらわれているときでも

    私の名を呼び

    世界平和の祈りを唱えてゆくときには

    かならず

    人は

    その本来のすがたへと

    たちかえることになるのであります

                   平成2年3月10日 

    神の大愛

    • 2011.02.20 Sunday
    • 13:29

    いのちのながれは

    本心と

    私たちが

    祈りによって

    一体になる時に

    尽きず

    神の大愛へと

    とけ込んでいることが

    わかります


    人類というものは

    全体であって

    また個なのです

    世界人類が平和でありますように

    私達が

    祈ってゆくとき

    自覚する

    しないにかかわらず

    人類のこころに

    本心にとけ込むので

    あります


    また

    私という人間以外の

    人々

    すなわち

    世界中の人々が

    世界平和の祈りを

    祈ってまいりますときに

    そのこころが

    祈りの光とともに

    私に流れ込んでくるので

    あります


    あらゆる場所

    空間

    おもいを

    超えて

    世界平和の祈りを祈って

    まいりますときに

    私たちは

    いつもひとつのいのち

    になってゆくのであります

    ひとつのいのちに

    むすばれ

    本心にむすばれ

    光明心によって

    むすばれた

    兄弟姉妹と

    なってゆくのであります


    そこで

    いつも

    私が申しておりますとおり

    世界平和の祈りというものは

    ただ

    世界人類が

    すなわち

    地球人類が

    ひとつになればよい

    という祈りではありません


    この地球の完全平和を

    達成して

    あらゆる霊人とともに

    また

    宇宙の先達たちと

    ともに

    大神様の

    みこころである

    愛と

    平和と

    調和による

    宇宙の秩序を

    より強固な

    ものとするために

    この地球に生きる

    すべての人々が

    すなわち

    世界人類一人一人が

    器として

    起ってゆく

    それも

    無理なく

    それぞれの

    本心の

    最奥の

    祈り心に

    照らして

    今の生活を

    そのままに

    起ってゆく

    そういうことを

    私ども人類に

    目ざさせる

    御計画のもとに

    この祈りは

    くだされたもの

    なのであります


    でありますから

    この祈りは

    わたし個人

    あるいは

    全人類が参加するのみならず

    あらゆる天界の霊人

    諸神善霊も

    ともに

    私どもが

    この祈り言を唱えるときには

    一瞬にして

    参加し

    祈って下さるのみならず

    その光明を

    尽十方に

    ふりまいて下さるので

    あります


    そうして

    私が

    これまで申して参りましたように

    分生命(わけいのち)

    としての人間

    分霊(わけみたま)

    としての人間

    いいかえますなら

    神にむすばれてゆく

    いのち

    としての

    人間

    という

    もっとも

    本来の

    すがたに

    我々を

    たちかえらせて

    くれるのが

    この世界平和の祈り

    なのであります


    元来

    祈りというのは

    すべて

    この

    神にむすばれている

    我々自身のすがた

    というものを

    明らかに

    しめしてゆくもので

    あります


    法然の説いた

    南無阿弥陀仏

    に致しましても

    キリストの教えた

    主の祈り

    に致しましても

    そのこころは

    神仏に帰命する

    つまり

    中心者

    大智慧

    大自然

    にかえってゆく

    帰一する

    ということであります

    みこころのままになさしめ給え

    なのであります


    あるいは

    一切を凡夫として

    一たん

    私のすべて

    このいのちもなにもかも

    そのまま

    全部を

    いったん仏にかえしてゆく

    そして

    あらたに

    いのちを戴きなおす

    という

    我凡夫の心

    凡夫のすがたを

    みきわめて

    そこから

    生まれかわらせていただく

    ということなのであります


    このこころが

    祈りのなかには

    特に

    世界平和の祈りのなかには

    あふれているのであります


    世界平和の祈りを唱えてごらんなさい

    この祈りは

    徹底した

    感謝行であります

    しかも

    世界人類が平和でありますように

    日本が平和でありますように

    私達の天命が完うされますように

    という

    祈り言のなかに

    私自身の祈りと

    わたしの祈りを超えて

    世界人類という

    大河のなかに

    私をなげ出した

    祈りとが

    こん然と

    とけ合っているのであります


    そして

    大らかな

    朗らかな

    こころで

    守護霊様

    守護神様

    ありがとうございます

    と結んでゆく


    この祈りには

    ただの一つも

    人間を責めるところは

    ありません

    今までは

    何かしら

    みんな

    責められてきたのです


    お前の心が悪いから

    と責められてきた

    この肉体というものを

    人間そのものだ

    と思い込んだところから

    おこる

    さまざまな

    とらわれ

    こだわり

    業想念

    といったものを

    つかまえすぎてきた結果

    こんなに祈っているのに

    私はまだ

    駄目だ

    だめだ

    ああ私はなんてダメな人間なんだろう

    悪い人間なんだろう

    とその想念を

    業想念を

    後生大事に掴む

    ところから

    そもそも

    まちがいが

    起こってきているのであります


    掴んでもいい

    掴むのは仕方がない

    けれど

    人間は本来

    神のいのちの分かれで

    奥の自分は

    光りかがやいていて

    ひとつも

    迷っちゃいないんだから

    その光かがやいている自分に

    合体してゆくために

    ああこれは

    消えてゆく姿なんだ

    すべて

    過去世のおもいが

    あらわれて

    消えようとしているんだ

    神さま

    ありがとうございます

    世界人類が平和でありますように

    と祈ってゆけばですね

    何ひとつ

    消えてゆかないものは

    ないんです


    それでもって

    この罪悪深重の凡夫

    という

    肉体にとらわれている

    我々の日常のおもいをですね

    一切責めず

    本来の霊としての

    光としての

    本心そのままの

    大元のすがたへと

    かえしてゆく

    その祈りの梯子として

    世界人類すべての人の心に

    灯を点してゆけるのが

    この世界平和の祈りなのであります 

          平成2年3月10日

    神と私とは一つのいのち

    • 2011.02.20 Sunday
    • 12:30

    祈ってゆくと
    私と神とが
    一つのいのちのなかに
    あることを
    感じる
    祈ってゆくと
    神と私とは
    ひとつであることを
    感じる
    神のなかに
    私がおり
    私のなかに
    神がいる
    祈ってゆくと
    私が
    神からわかれてきた
    生命(いのち)であることを
    感じる
    このいのちは
    神の光
    光りゆくいのちの
    源は
    愛であり
    私は
    その愛に
    抱かれているのだ

          平成2年3月8日 夜 

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