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    短 信(24)

    • 2012.08.31 Friday
    • 08:20

     信仰生活に入ると、かえって、それ以前

    よりも、不幸な出来事やいやなことが連続

    しはじめた、目につくようになった、これを

    どう考えればいいかという御質問のように

    おもいます。


     信仰というのは、たしかに楽なことでは
    ありませんで、つねに裡をつとめてゆく、
    そうして、人間は光なのだ、ということを
    教えられる、あるいは、神様という方は、

    いつも人間を愛していらっしゃるのだ

    ということをきかされて、実際、自分でも

    そう思うけれども、とにかくそう思えば

    思う程苦しい時があるのであります。


     これは、人間の本来性、本心の光が、

    消えてゆく姿となってあらわれて

    参ります時に、業想念が光を

    あびようとして、寄ってくる、その苦しみを、

    私どもが、身に心に感じるのであります。


     けれども、とにかく守護霊、守護神、

    そうして神様へのお任せのいのち

    でありますから、苦しい時に、その苦しさを

    感じる自分が駄目だとか、あるいは、

    こういう風に悪いことがつづくようでは、

    まだ自分は本当の信仰に入っていない

    のではないかなどと、一切おもうことは
    ありません。


     神様というのは、絶対の愛である、無限の

    愛であるということを、かたく信じて、
    消えてゆく姿で世界平和の祈りを実行して
    いただきたいということとともに、神様はただ、
    光ばかりをおあたえにならない、その人の

    魂をつよめ、また、光をますますかがやか

    せるために、時には辛いことを連続させる

    ことがあるということを覚えていただきたい

    のであります。


     どうぞ、力まず、背のびをせず、やさしく、
    明るく、たくましいいのちに、あなたのいのちを
    育てていただくようにお祈りなすって下さい。
     私も、日々、おぼえて、祈らせていただきます。            


     世界人類が平和でありますように 

                     合 掌 
                       昌 久
     

    短 信(23)

    • 2012.08.30 Thursday
    • 08:25

     お手紙拝見致しました。現実というものは
    中々大変なことの連続で、そうしたなかで
    世界平和の祈りを実行するということは、
    さぞお辛いだろうと思います。


     世の中理屈どおりにはゆかないというのが、
    大体の人の心を占めているおもい
    なのであります。


     これはこのとおりでして、一つの祈りや
    宗教でこの世が地上天国になるのであれば、
    とっくにこの世は地上天国になっているわけ
    であります。


     それが、そうなって参らなかった原因は
    何かと申しますと、人間が、我のおもいの
    なかで、地上天国をゆめみてきたから
    なのであります。


     ひらたく申しますと、人間の慾、自分
    というものを捨て切れずに、いつの間にか
    自分が自分がになってしまうという現実。
     そうしてそういうものをかかえたままで、
    パラダイスを夢みてきたところで、それは、
    真実の天国とはならなかったのであります。


     ところで、いつも申しますように、人間
    というものは、我にとらわれた存在ではなく、
    本来は、とらわれや、こだわりから放たれた
    光そのものの存在なのでありますが、
    いきなり、神の子、光の子といっても、
    この世の中に生きてゆく以上、何かしら
    辛いことが起きる、苦しいことが起きて
    ゆく現実というものは否定できない
    のであります。


     そこで、消えてゆく姿で世界平和の祈り
    ということを申し上げているのであります。


     そして、それでもなお、辛い苦しい思いは、
    全部私に下さればよろしいのです。遠慮
    なさる必要はありません。


     かなしい時にはかなしいし、辛い時には
    辛いのです。 


     私は、人間の心の自然な動きまでを、
    いけないというつもりは全くありません。
     あなたもそのお一人だろうと思いますが、
    宗教をやっていて、良心の鋭い人程、私は
    駄目だ、永年やっているのに、まだこんな
    ことも出来ないという風に自分を責めて
    しまいがちになる。
     そして、私なんかというおもいにつつまれ、
    とらわれてしまうのであります。


     私はここではっきり申し上げますが、
    神様は、私どもをそれ程出来のわるい
    子どもには作っていらっしゃらないのです。
     元々神の光のひとすじなのですから。


     今のあなたの辛い苦しいおもいを、
    どうぞそのまま、私に預けて下さい。


     いつも申しますように、世界平和の祈りは、
    肉体の私達が祈っているようにみえますが、
    実は、霊体神体という奥のからだが祈って
    いるのであります。


     ですから、祈りが、唇から突いて出て
    こないという時には、これらのあなたの
    いのちを生かしている霊体神体が祈り、
    守護霊守護神が祈り、また、私がかわって
    祈っているのだということを、どうぞ覚えて、
    心をのんびりとさせて下さるように
    お願いしておきます。


     どうぞ、何も心配なさらず、ありのままの
    自分の心を抱き、祈れるようになったら、
    世界平和の祈りをなさって下さいますように。


                   合 掌
                     昌 久

     

    短 信(22)

    • 2012.08.29 Wednesday
    • 08:30

     自分の身を捨てる、捨身という
    ことは、これはたやすくできません。
     ですから、昔から神仏のこころ
    というものに導かれて発心した人々は、
    大変な修行をしたのです。


     ところが、現代のこの世の中で、妻や
    子がいるのに、家庭があるのに、仕事が
    あるのにそれを捨てて神仏の世界に
    入ってゆくということは、これは大変です。
     昔よりも
    もっと大変でしょう。
     昔、人々がなぜそれ程の修行をしたか
    といえば、神仏の光を素直に受けるため、
    無になり、空になるためだったのです。
     実際、人間の実相、真実の姿は、神仏の
    光そのものなのでして、我々の裡に
    かがやくこの光のいのちを、確かに、我々
    自身のものとしてとらえるには、私の
    申し上げている消えてゆく姿で世界平和の
    祈りを、となえて下さる、これがもっとも
    近道なのであります。


     なぜならば、この祈りは、私どもを
    すべての業想念から解放し、光にかえて
    ゆく祈りだからであります。自分を
    解き放つとともに、あなたのまわりを
    解き放つ祈りだからであります。
     世界平和の祈りは理論ではありません。
     学問でもありません。それは真実で
    あります。すべての宗教は、人間の真実を
    追求してゆくべき筈のものでありますが、
    特に、私どもは、消えてゆく姿と
    世界平和の祈りによって、日々を新生して
    参るのであります。
     言葉をかえますなら、人間の真実の
    相(すがた)、本来の姿をこの祈りに
    よって識ってゆこうとするのであります。


     どうぞ、この祈りを実行なさってみて
    下さい。私どものいのちが、まもられている
    ことを実感なさると思います。祈りのない
    ところに、平安はありません。私どもの
    本心の光をこの祈りによってよび覚まして
    参ろうではありませんか。
                 合 掌

                   昌 久


     

    短 信(21)

    • 2012.08.28 Tuesday
    • 10:55

     人間の心というものを失ったら、私達は
    神様の愛を説いてゆけなくなるという

    ことを、先ず申し上げなければなりません。 

     

     確かに、私の申しました消えてゆく姿
    という教えは、迷いが出れば、ああこれも
    消えてゆく姿、怒りが出れば、ああこれも
    消えてゆく姿とおもって、そうして
    世界平和の祈りに

     

     世界人類が平和でありますように
     日本が平和でありますように
     私達の天命が完うされますように
     守護霊様ありがとうございます
     守護神様ありがとうございます

     というこの祈りのなかに全部そのまま
    放り込みなさいともうしました。しかし、
    ああこれも消えてゆく姿なんだなという
    ことはですね、これは、辛いかなしい、
    あの野郎、この人さえいなければ

    私は・・・なんていう、我々が日常

    抱くおもいね、そういうものを、否定

    するってことではないんですよ。

     

     よろしゅうございますか、わかります?
     そうじゃないんです。ああ消えてゆく姿
    だなっておもうってことはですね、その
    湧き上がってきてどうにもならない想いを
    そのまま一たん抱いて、無理に捨てるん

    じゃなくて一たん抱いて、それで、そのまま
    だったらつぶれちゃいますから、

    世界平和の祈りという大愛大調和の

    祈りのなかに、抱いてるあなたごと、

    すっぽり入る、ということなんです。

     そうしますとね。

     永年の思いグセで、辛い憎い、

    ツラニクイってなおもいはですね、

    そうそう我々の努力だけで、消えてゆく

    ものじゃないんです。消せない。

     

     だから、一たん、そのままの自分を、
    神様に返してしまう。そうして、あらためて、
    光のいのちをいただくんです。

     

     戴きなおしのいのちですよね。神様の

    愛を、光のシャワーをあびる。その

    シャワーを、もっとも無理なく浴びられる

    のが、世界平和の祈りなんです。

     

     このなかに入れちゃうと、何しろ大愛
    ですから、全部消えちゃう。いつの間にか
    スッキリするんです。

     

     けれども、人間が、みんな色々な顔を
    持って生まれてきていますように、その

    人の個性といいましょうか、おのおのの
    心というものね、おもいグセじゃない
    こころですよ、それは神様は大事に

    なさる、して下さるんです。

     

     ですから、無理に神様に近づこうとして、
    背のびなんかしない方がいいんです。

     ただ、呑気になって、お任せする。

     お任せして、消えてゆく姿で世界平和の

    祈りをつづけて下さったら、あなたの

    あなたらしいところが、益々素直に

    出て参ります。

     

     ですから、どうぞそのままで明るく明るく
    毎日をお過ごし下さいますように。
     
                    合 掌

                      昌 久

     

    短 信(20)

    • 2012.08.27 Monday
    • 10:42

      光というものは、あたり一杯に渦まいて

    いるのだと御理解下さい。


     どこかに行けば光がある、というのでは

    なく、どこも光なのだということなのです。


     今あなたの住んでおられるお宅も、

    あなたが歩かれるところ、すべてに、光は

    あるのだということであります。


     人間というものは、光のいのちなのです。

     私がいつも申しますように、神から

    わかれた分生命(わけいのち)、分霊(わけ

    みたま)、これが人間の真性、真実のすがた

    なのです。


     神様の本質というのも変だけれども、神

    というものは、愛とゆるしの光、調和の光を

    ずっと放射しているそういう方ですから、

    その光を受けて生まれてきた人間は、神の子、

    光の子というわけなのであります。ですから、

    光というものは、あなた自身のなかにあって、

    いつもあなたを導き、肉の身そのままで、

    光にみたそう、明るい、素直なおもいに

    満たそうと一生懸命なのです。


     生命の源である光が、今、あなた自身の

    なかに活きて、働いているのだということを

    どうぞかたくお信じになって下さい。


     そうすると、先ず、自分自身が光

    なのですから、光は、そこら中にみちている

    ということになります。それは、

    あなたの(人間の)本心の光が、かがやいて、

    自然万般にみちている光(生気)と相抱き、

    互いにそのかがやきを増すのであって、

    決して、人間が偉いからではありません。


     すべてのものが、みな、素直に大生命に

    帰一する時、光となるのであります。光

    そのものとなってゆくのであります。


     私も、昌美も、また、この世界に生きる

    心ある宗教家は、元々の大生命のかがやきと、

    その大生命を源として、人が生まれてきた

    事実とを、あるいはまた、人間が本来、

    すなおな朗らかな、おおらかないのち

    そのものであることを伝えつづけて

    いるのであります。


     光は遠くにあるのではない。光は自分の

    うちにあって自分を生かし、光と光を結んで、

    この地上を、宇宙を照らしてゆくのである

    ことを、どうぞお覚え下さい。


     世界人類が平和でありますように


                    昌 久

     

    短 信(19)

    • 2012.08.26 Sunday
    • 07:24

     祈りについてのおたずねですが、祈り

    というものは、かたちではないのです。

     本当のところはかたちではない。


     じゃあなぜ、手を合わせたり、如来印を

    組んだり、目を閉じたり、そういうことを

    して祈るのかと申しますと、そういう

    かたちをとることで、本心本体、本来の

    自分、いのちそのものの自分のなかに

    かえってゆきやすいからなのです。
     

     こころをあつめて、おもいをすまして、

    神をおもい、神様のなかに入ってゆく方法

    として、我々はみな、かたちを持っている

    ということなのです。ですから、このかたち、

    つまり、目を閉じて合掌したり、印を組む

    ということは、単なる形式ではない

    のであります。魂というものが、心という

    ものが、神をたずねてゆくその準備運動

    なのであります。


     そこで、こういう風にして、みんな
    祈って
    ゆくわけですが、実は、もう
    からだ中で、
    年がら年中祈っている
    というのが、
    本当のところなのでして、
    人間というものは
    真実は自在に、
    神様の愛のなかに
    溶け込んでいる存在
    なのであります。


     で、このかたちから入って、段々に、

    素直に神様を呼び、世界平和の祈りを

    かさねてまいりますうちに、自在な、

    ほがらかないのちを持った自分自身が

    あらわれてくるのであります。


     印を組み、祈りながら、さながらの、

    光そのままの、自分自身というものに

    出会ってゆく。真実の自分と対面する。

     これを、私は、自分自身のいのちを

    宣り出すと申し上げたのであります。


     ですから、多少の迷いや、これで

    いいのかしらというおもいが出たら、

    消えてゆく姿として、祈りのなかに

    放り込んで、ただただ祈って
    ごらんなさい。


     そうしているうちに、心もからだも
    朗らかになって参ります。ただ、心の
    なかに、世界人類が平和であります
    ように
    とおもい
    うかべるだけで
    いいのです。私を
    呼んで
    下さるだけで
    いいのであります。


     どうぞ、そのままのおもいを祈りの
    なかに
    お預け下さい。

             昭和62年2月19日

                昌 久  

    短 信(18)

    • 2012.08.25 Saturday
    • 08:33

     祈りは、(統一は)あらゆるものの
    なかにあります。すばらしい絵や音楽に
    感動し、一体になっているとき、心を
    うるわせる書物に出会って、夢中に
    その本のなかに入りこんでいる時、
    我々は、気高い魂に、本心の光に統一し、
    祈り心となっているのであります。


     ただ統一会に出て、世界人類が平和で
    ありますようにとやっている時だけが、
    祈りだ、統一だというんじゃないんです。


     ここのところを間違えますと、苦しく
    なるのです。我々のいのちを、
    守護霊さんがねてもさめても守って
    くれている、それとおなじように、実は、
    私どもの本心は、本体は、もうずっと
    祈りっ放し、感謝しっ放しなのです。
     道を歩いていても、台所でおねぎを
    刻んでいても、何をしていてもずっと
    祈ってるんです。統一してるんです。


     ですから、どんな場所にいても、
    ありがとうございますとおもいつづけてね、
    感謝して、生きてゆくことが、それこそが
    祈りであり、統一であるんだということを、
    理解して下さったらとおもいます。


     世界人類が平和でありますように


              昌 久 

    短 信(17)

    • 2012.08.24 Friday
    • 08:01

     人間にとって、また神を説く者にとって、
    何が一番大切かと申しますと、それは人を
    容れる心であります。


     この世には、実にさまざまな人が生きて
    おります。価値観も、人生に対する
    おもいも、まるで自分とはちがった、
    正反対の人々がいるものです。


     そういう人々に出会った時、ただ
    おどろきつづけるばかりではなく、
    その人の 心のなかに入って、共鳴板を
    探してゆくこと。これが大事
    なのであります。


     なぜなら、神様は、本当に、ひとり
    ひとりを愛し切って、我々のいのちを、
    日々瞬々生かしめて下さっているから
    なのであります。


     世界平和の祈りは、あの人この人
    という小さないれものではなく、
    世界人類が平和でありますようにという
    ウンと大きないれものなのであります。
     この容れ物は、神様の私どもに対する
    愛に他なりません。どうぞ力むことなく、
    ふんわりと、世界平和の祈りのなかに
    とけ込まれて、ただ世界人類が平和で
    ありますようにと祈ってごらんなさい。


     あの人を愛さなければ、何とかこの人を
    という苦しい気持ちは、いつの間にか、
    守護霊守護神が消して下さるでしょう。
     そうしてさらに祈っていって下さると、
    自分の心が、いつのまにかおおらかに人を
    容れる心にかわっていることに、
    気付かれることだとおもいます。


     ともあれ、まず、御自分を、祈りの
    なかに投げ込んで、毎日祈って
    ごらんなさい。


     あとは神様がそなえて下さると
    信じることです。
                合 掌
                  昌 久 

    短 信(16)

    • 2012.08.23 Thursday
    • 09:13

     一生を神様にささげたいという
    お心のようですが、それには先ず、
    自分というもの、自分の人生
    というものを愛するところから
    始めていただきたいのであります。


     そうして、人生のさまざまな雑事
    とみえることをも、よろこんで
    行なっていただきたいのであります。
     人は、生活者なのですから、
    あなたのお心が神様のみこころの
    ために用いられるのであれば、
    もっともよい時期に、召命なさる
    でしょう。ただし、人を離れて、
    ただ神の愛のなかに生きるという
    ことは、それはナルシシズム
    というものであります。


     あなたのお心を神様がどのように
    お用いになるかは判りません。
     小事に忠実な人は大事にも忠実
    であるという聖書のことばにも
    ありますように御自分と御自分の
    まわりを大事になさって下さい。
     御自分のまわりを尊敬すること
    から始めて、何事にも感じる心を
    深くして下さい。すべてはそこから
    始まって参ります。
     どうぞあせらずに、祈りつづけて、
    あなた自身をかがやかせる努力を
    なさって下さいますように。


              合 掌
                昌 久
                   

     

    短 信(15)

    • 2012.08.22 Wednesday
    • 07:56

     久しくごぶさたしました。お元気の
    御様子何よりと存知ます。


     こちら(神界)にも、ゆたかな
    自然があります。


     毎日、教会の鐘の音をききながら、
    道場に通った頃を、市川の、あの
    雑木林を何ということもなしに歩いて、
    神の恵みのすこやかさに、おもわず空を
    見上げ、青空のなかに神のこころをみて
    感動したことなどをなつかしく
    おもい出しています。


     そして、音楽に情熱を傾けていた時、
    ただひたすらに音を追っていた私に、
    一つ一つの音にも、人間の心の
    ひびきがこもっているということを
    教えて下さったことを、今もなお、
    深い感謝とともに思い出すのです。


     私は宗教家になってしまいましたが、
    神の愛の調べを人の心のひびきに
    通わせながら、よくあなたの言葉を
    思い出します。五井は相かわらずだなと
    お笑い下さい。


     それではまた。    
               合 掌
                五井 昌久

     

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