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    神の人間に対する真実を 忘れてはいけないよ

    • 2012.09.30 Sunday
    • 07:45

    あなたがたは
    神の
    いのちを
    受けているのだ


    この
    真実を
    神の
    人間に対する
    真実を
    忘れてはいけないよ 

    美に感じ 求めるこころは…

    • 2012.09.29 Saturday
    • 09:43

    美に
    感ずるこころは
    そのまま
    神のすがた


    美を求める
    こころは
    大調和を
    目ざす
    守護の
    神霊の
    愛のはたらき 

    神の愛にかえるとき…

    • 2012.09.28 Friday
    • 08:46

    神の
    愛に
    かえるとき
    人は
    本当に
    自由になる


    心と
    心が
    本心と
    本心が
    光を
    結び合って
    永遠の
    愛と
    ゆるしと
    調和という
    こころに
    帰るとき
    人は本当に朗らかになる  

    神様の愛を受ける器として 空っぽになっているかどうか

    • 2012.09.27 Thursday
    • 08:01

    神様の
    世界には
    誰がどうしたとか
    こうしたとかいう
    思いわずらいは
    ありません
    みんな
    子どもなんですから


    ただ
    ひたすらに
    神様の
    光を
    受ける器
    神様の
    愛を
    受ける器として
    その人が
    空っぽに
    なっているか
    どうか
    それだけ
    なんです


    私なんか
    ずっとずっと
    空っぽ
    何にも
    ありゃしない
    智恵も力も
    必要に
    応じて
    その時々に
    神様が
    下さるもの


    私はただね
    自分を
    働きの
    場として
    いつもいつも
    色々なことが
    受けられるように
    何がはいってきても
    大丈夫なように
    自分のうちを
    きれいにしてね
    何もかも
    なくして
    おく
    そのために
    祈りつづけて
    いるんです
    本当ですよ


    世の中の
    富や
    地位が
    この
    魂の
    何の
    役に立つんですか
    そりゃ
    人間ですもの
    いいものを
    食べたい
    いいところにいたい
    尊敬されたい
    そりゃあそうです
    居心地がいいものね
    そういう気持ちを
    いたずらに
    否定するんじゃないんです
    だけど
    神様の御用にたたなきゃなんない


    人間は
    本当をいえば
    この肉の身が
    滅しないだけの
    ものを喰べて
    飲んで
    そうして
    神様の
    みこころを
    そのままに
    素直に
    うつしてゆく
    そういう
    愛の
    働きを
    なしてゆくものなのです


    80年
    90年の
    いのちが
    何なのですか
    それは
    肉のいのちです
    人間は
    ずっとずっと
    明るいいのちを
    生きつづける
    永生の存在
    なのです


    だから
    こだわりや
    とらわれを
    すてて
    とにかく
    神様に
    今の
    この
    自分の
    身に
    受けて
    いる
    いのちを
    感謝して
    世界平和の祈り
    のなかに
    あなたのいのちを
    かえして
    いって下さい


    やさしい
    こころは
    すべてを
    とかして
    いきます
    やさしさは
    神の愛
    だからです
    人間は
    この
    神からの
    贈り物である
    やさしい
    こころを
    みんな
    持っているのです


    もっと
    もっと
    自分を愛し
    いたわって
    やさしい
    こころを
    やさしい
    こころの
    なかにある
    神の光を
    ふりまいて
    下さい 

    朗らかな明るいこころで…

    • 2012.09.26 Wednesday
    • 07:56

    神様に
    任せる
    ということは
    この身の
    おもいも
    いのちも
    すべて
    お預けする
    ということです


    朗らかな
    明るい
    こころで
    新しい
    いのちを
    いただく
    ということなのです 

    神が君のいのちを 必要としていらっしゃる

    • 2012.09.25 Tuesday
    • 08:54

    君よ
    神の
    よぶ声が
    きこえないか
    大きな声ではない
    ささやくような
    声だ
    しかし
    確かに
    君を
    呼んでいらっしゃる
    声が
    きこえないか


    神が
    君のいのちを
    必要と
    していらっしゃるのだ


    起て
    さあ
    ゆこう
    神の
    み前に
    この
    いのちを
    ささげるために
             昭和62年2月2日 

    あなたは今日から 光かがやくいのちとなる

    • 2012.09.24 Monday
    • 08:11

    あなたの
    こころに
    たずねよ
    何が
    正しくて
    何が
    よこしまな
    ことであるかを


    迷い出でなば
    ただちに
    こころに
    おりよ
    こころに
    おりてゆくほどに
    こころは
    光の世界である
    ことが
    わかるだろう


    しずかに
    しずかに
    神の前に
    ひたすらなる
    祈りを
    ささげている
    あなた自身に
    出合うだろう


    そのからだは
    光にみちて
    一点の
    迷いも
    惑いもなく
    ただ
    神への感謝と
    とこしえの
    いのちの流れへの
    深い
    祈りが
    あるばかり
    ちっぽけな
    おもいは
    光の
    あなたの
    前に
    うちくだかれて
    しまう


    あなたよ
    こころに
    おりた
    あなたよ
    正しきものも
    よこしまなるものも
    そうした
    一切の
    とらわれや
    人の
    おもいを
    超えた
    愛とゆるし
    こそが
    大調和という
    神のみこころの
    源では
    なかったのか


    こだわり
    とらわるる
    肉の身の
    おもいを
    捨てよ
    そして
    そのまま
    世界平和の祈りを
    行じてゆこう


    あなたは
    今日から
    私とともに
    光かがやく
    いのちと
    なるのだ
                 昭和62年2月2日 

    いかなる苦をも いたみをも 感謝の祈りにかえて…

    • 2012.09.23 Sunday
    • 08:35

    人が
    人を
    愛すると
    いうことは
    心と心
    本心

    本心

    あわせて
    自分のなかに
    ある
    また
    相手の
    なかにある
    さわりのない
    ひかりそのものの
    いのちを
    愛する
    ということなのです


    神は
    人間を
    愛するように
    つくられている
    のです
    愛し
    愛される
    よろこびを
    知るもの
    それが
    人間なのです


    心は
    本心は
    いのちの
    本源から
    放射される
    かがやくばかりの
    神の人間に
    対する
    愛念を
    送って
    人の
    愛の
    おもい
    愛の
    はたらきを
    つよめ
    たすけるので
    あります
    愛することが
    仕事
    なのです


    辛いことも
    ある
    怒りに
    ふるえる
    ことも
    ある
    けれど
    それらは
    みな
    愛する
    こころ
    愛される
    よろこびが
    つよめられるための
    過ぎゆき
    消えてゆく
    姿なのです


    本当に
    自分を愛し
    人を愛するには
    人は
    大いに
    傷つき
    傷つけられ
    血をながさなければ
    なりません
    そうすることに
    よって
    真実に
    よわさを
    持った
    人のこころを
    身に沁みさせる
    ことができるからで
    あります


    誰も
    傷つきたいと
    おもう
    人は
    一人も
    いないけれど
    傷つくことに
    よって
    傷つくことの
    かなしみを
    傷つけられる
    ことの
    寂しみを
    深く知ることが
    できるのであります
    人に
    また
    人の心というものに
    やさしくなる
    ことができるのであります


    傷つき
    傷つけられる
    ことを
    おそれて
    ただ
    自分を
    高みにおき
    神を
    よびつづける
    というのは
    それは
    おかしな話です
    魂の
    進化に対する
    うえかわきに
    目を閉じて
    ゆくことになるのです


    こころを
    深くすること
    どこまでも
    どこまでも
    朗らかな
    本心の光を
    たずね求める
    旅を
    消えてゆく
    姿と
    世界平和の祈り
    を行じつつ
    おこなう


    日々の
    一瞬一瞬の
    自らの
    気持ちの
    移りかわりにも
    やさしく
    目をそそぎながら
    いかなる
    苦をも
    いかなる
    いたみをも
    ただ
    神様
    ありがとうございます
    という
    感謝の
    祈りに
    かえて
    自分を
    人を
    自らの
    魂を
    したいよる
    人々の
    魂を
    ともに
    神の愛に
    ゆだねて
    祈りのうちに
    歩いて
    ゆくこと


    愛し
    愛されるよろこびを
    そこから
    感じ切り
    また観じ切って
    日々を
    生きてゆくこと
    これこそが
    祈りの光に
    てらされた
    私どもの
    また
    すべての
    人々の
    真性であり
    本来の
    姿なのであります


    ともに
    神の愛と
    神への愛という
    二つながらの
    光を
    受けつつ
    すすんで
    参りましょう
             昭和62年2月2日 

    真実の自分が どれほどの光につつまれたものであるか…

    • 2012.09.22 Saturday
    • 08:39

    すなおな
    心は
    神からの
    贈り物
    人は
    神の前に
    すなおに
    なって
    はじめて
    真実の
    自分を
    あらわす


    真実の
    自分の
    かがやきを
    知らされた時
    それが
    どれほどの
    光に
    つつまれた
    ものであるかと
    いうことに
    人は
    おどろきの
    声を
    あげるだろう


    だが
    あなたは
    かがやいて
    いるのだ
    人間は
    かがやく
    いのち
    ひかり
    そのもの
    なのだ


    その光の
    源は
    自分と他人に
    対する
    やさしさ
    どこまでも
    どこまでも
    やさしい
    気持ち
    これこそが
    神のこころ
    なのだ


    世界平和の祈り

    どんな
    時にも
    あなたを
    やさしくする
    たとえ
    怒りが
    こみ上げて
    いても
    涙が
    胸を
    ふさいでいても
    いつか
    やさしい
    光で
    みたしてゆく


    神は

    人間にとって
    何が
    一番
    必要であるかを
    知って
    おられるのだ
    それは
    あくなき
    やさしさ
    そのやさしさの
    かたまりである
    そのやさしさを
    あらわさずには
    おかない
    世界平和の祈りを
    神は
    この私に
    しめして
    下さった


    ああ
    世界平和の祈りよ
    この祈り言のなかに
    すべての聖者の
    悲願と
    神の
    愛と
    人間の
    本来もっている
    心とが
    一つとなり
    光にみちていることを

    あなたがたに
    伝えよう


    すべての人の
    こころを
    鎮め
    本心の
    光を
    あらわす
    霊妙な
    神の
    計画が
    すべての
    宇宙に生きる
    人類の
    一人びとりを
    愛と
    平和の
    気で
    満たし
    大調和という
    みこころの
    完成を
    目ざして
    おられる
    神の
    みこころが
    私を
    つらぬいて
    やまないのだ


    人よ
    あなたがたは
    光を
    持った
    神の
    いとし子
    すなおに
    すなおに
    神のみこころの
    前に
    ぬかずき給え
           昭和62年2月1日 

    心について

    • 2012.09.21 Friday
    • 11:41

     人間というものが、他とちがうということを
    考えて参ります時に、何が一番ちがっているか
    と申しますと、それは、心を持っているという
    ことでありましょう。


     よろこび、かなしみ、いかり、なげき、寂しむ。


     心というものは、その折々に、私どもの
    相(すがた)をうつして、正直なあらわれを
    示すのであります。


     ところで、この心というものが、どれほど深く
    また広いものであるかということについては、
    全くといってよいほど、知られておりません。


     それは、たとえば、よろこびですとか、かなしみ
    という、海で申しますなら、海の波が静かであるか、
    あるいはさわだっているかというそういう
    ところだけをみて、ああ、今日はおだやかだ
    とかですね、一寸あれているなとか、判断をして
    しまいがちなので、なかなか心というものの
    深さが、私どもには伝わらないのであります。


     ここにいうよろこびとか、かなしみとか、
    普段私どもが、心だとみているものは、実は
    気持ちの働きでありまして、海でいえば波に
    あたるのであります。それで、心というものを
    たずねて参りますと、実は、ずっとずっと深い
    よろこびとか、かなしみとか、迷いとか、
    とにかく一切そういう波に惑わされない、
    明るい大円光にたどり着くのです。


     自分という人間の奥に、こんな明るい世界が
    あったのかとおどろく程、そこは明るい。
     なぜなら、そこは、神のこころの世界だから
    であります。


     人間というものは、いつも私が申します
    ように、神の分生命(わけいのち)、神の
    分霊(わけみたま)。神のこころが人をつくり、
    人に分かれ、この地上で、極みない神の愛の
    すがたをあらわすべく存在している
    ものなのであります。


     ところが、想念というおもいの世界が、この
    あらい肉の世界をおおっておりまして、
    そのために、先程申しました海でいえば波に
    あたる部分を、まさしく自分自身だと
    勘ちがいして、永い間生きてきたのであります。


     私は、さっき、気持ちの働きと申しました
    けれども、これだって「気」を持つ--つまり、
    ゆったりとした明るい、何物にもとらわれない
    神の「気」が、私どものなかに流れ込んで
    心をつくっているということでありまして、
    本当のところ、気の流れを受け、気の流れの
    ままに生きる、活かされているというのが
    人間の真実の姿なのであります。


     言葉をかえていいますと、お任せする
    ということですね。


     何に任せるのか?人に任せるんじゃ
    ありませんよ。こういう心を送って下さっている
    神に任せるんです。もっといいますと、こういう
    心に支えられている自分の奥に存在する神様と
    直結した自由の天地をたたえるのであります。
     そして、この天地と直通の道路を、気持ちが
    走るために与えられているのが祈り、世界平和の
    祈りなのであります。


     どうぞ、私どものおもいの一つ一つを大事に
    して、よろこぶ時にはよろこび、かなしむ時には
    かなしみながら、しかも、与えられている気の
    働きを深めるために、こうした心を深く
    するために、世界平和の祈りを日々瞬々祈って
    いただきたいと思うのであります。


             昭和62年2月1日 

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