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    神にむすぶいのち 序

    • 2014.04.30 Wednesday
    • 07:55

     ──序──  
           五井 昌久

    私どものいのちは
    神につらなっている
    それは
    いのちが
    神から分けられてきた
    ものだからである
    人は
    神にかえってゆく存在なのだ
    神にかえるとき
    神にむすばれたいのちであることを
    しるとき
    私達は
    真に自在身となってゆくのである
          平成2年3月4日

    (四)宝について(7)

    • 2014.04.29 Tuesday
    • 07:59
         (前日からの続き)
     人間というのは何が大事かというと、休養
    なんですね。休養を得るには、やはり自分を
    見つめる心が大事なんです。ところが皆んな
    自分というものがわからなくなってる訳ですよ。
     悩む自分、惑う自分、苦しい自分というのを
    自分だという風につかみ間違えてしまうと、執着の
    方へ行ってしまう、苦の方へ行ってしまう。
    しかし、自分というのは本当はそういうもん
    じゃない。自分というのは、空っぽになって本当に
    朗らかになった時に、その小さい人間の智恵なんて
    ものは止まって、神様の方から、「こういう風に
    すればいいんだよ」と、何も思わなくても、その
    ように運命というものは作られてゆく。
     それは支配されてゆくという事ではなくて、
    本当に神様と一つになった時に、朗らかな生命に
    変わってゆくわけですね。ですから、その朗らかな
    生命というものを、皆が心の奥に持っているんだ
    ということを、ちゃんと自覚をしてね、その上に
    立って世界平和の祈りをする。守護霊守護神に
    祈りを捧げる。そういう中で、人間とはこういう
    ものなんだと、私は人間に生まれて今は辛いけれど、
    元々私というのは朗らかな生命そのものなんだと、
    そういうところへ守護霊守護神が導いて下さるんだ
    と、神様の導きがあるというところへ心を向けて
    やってゆけば、人間というのは楽に生きることが
    出来るのです。
                質問集 「宝もの」了

    (四)宝について(6)

    • 2014.04.28 Monday
    • 05:58
         (前日からの続き)
     合気道の植芝先生は、自分が宇宙だって
    言ったんですね。私も宇宙だって、あの先生に
    返したんです。と言うことは、宇宙というのは
    競争者がいないんです。そして、人間という
    ものは誰一人として例外なく、この宇宙
    なんですね。本当に誰とも競争しない、誰とも
    競合しない。それはもう厳然としてそこに
    在る。存在そのものだとね。誰にも冒されない
    誰も冒していかない。それでいてそこにキッチリ
    立っていて光り輝いている。一人一人がそういう
    存在なんですね。その人間の本質に気が付いて
    ゆくと、楽になるんです。苦しまなくていいわけ
    ですよ。苦しんでしまうと、無用な競争をしたり、
    嫉妬心が起こったり、独占欲が出たりして、
    そこで競争して疲れてしまって、ああ私は何で
    出来ないんだろう、なんで私はこんなに
    生まれついたんだろう─と思ってしまう。
     だけれども、それはなんていうか、徒労
    なんですね。悩むことも一つの勉強だけれども、
    そのことで振り廻されるほど人間はそんなに
    小さく出来ていないんですね。
     本当は、もっともっと人間というのは朗らか
    なんです。そりゃあ人の中に入れば、気を使わ
    ないわけにはいけないけれど、気を使い過ぎて
    クタクタになって、くたびれ切って、もう明日
    から仕事するのはいやだ、生きるのはいやだ
    という事になってしまうのも困るんですね。
                (翌日に続く)

    (四)宝について(5)

    • 2014.04.27 Sunday
    • 08:57
          (前日からの続き)
     自分自身、こうやりたい、ああしたいとかいう
    意気込みは大事だけれど、我(が)を出して
    競争心が過剰になると、欲と二人連れになってね、
    そのことによって執着が生まれ、その執着から
    把われが出て来て、その把われがその人を離さなく
    なった時に、これが苦になっていく訳ですから、
    その苦にならない為には、大事なことは、
    その時に、守護霊さん守護神さんよろしくお願い
    します、私ガンバリますが御心にお任せします─
    というような気持ちで頑張ってゆくと、これが
    執着にも苦にもならない。

     ところが、やっぱり人間ですから、色々頑張っ
    たのに、あっちの方が成績が良くて、私の方が
    成績が悪かったというようなことに把われて
    くると、純粋に頑張っていても、だんだんと
    頑張れなくなってきて、夜も眠れなくなって
    きてしまう。次の日に仕事に行くのに、すごい顔
    して行かなくちゃならないとか、そういうことに
    なってくるでしょ。それは結局何かというと、
    自分の気持ちの中で頑張ればいいものを、私と
    あの人とか、相手と競争しようとするからです。
                  (翌日に続く)

    (四)宝について(4)

    • 2014.04.26 Saturday
    • 07:51
           (前日からの続き)
    自分が体験してくるとね、神様の智恵というのは
    私一人じゃなくね、色んな人に色んなかたちで
    分けられている。その分けられているものを、皆が
    それぞれ自分自身をいとおしんで、自分自身を
    いたわって生きていく。神様から与えられた
    その宝物が出て来る。自分がその宝物を
    引き出すのではなくて、その宝物の方から、
    その人自身を導いてくれて、その人が本当に
    生き生きと生きてゆけるような所まで連れて
    いってくれる訳ですよ。
                    (翌日に続く)

    (四)宝について(3)

    • 2014.04.25 Friday
    • 09:20
           (前日からの続き)
     自分が無くなるということは、自分らしさが
    なくなってしまうということではないんですね。
     つまり、自分自身が本当に神様というものに
    生命を返してしまう、朗(ほが)らかに生命を
    返してしまうと、そこから新しい自分が現われて、
    そのことによって自分が生き生きと生きていく
    ことが出来る。そういう事が私の身の上に
    起こったわけですね。これは何も私だけの特別な
    事ではなくて、私の場合は、何がそうなったのか、
    そのスイッチは何だったのかというと、私は
    神様に対して素直であった。その事だけなんです。
     それと、世界人類のために私の生命を使って
    下さい─そういうお祈りをずーっとしてきたわけ
    です。主の祈りの後にそういうことをずーっと
    つけ加えて祈っていたんです。どういうわけか、
    自分の存在を投げ出して、永遠者というものに
    対して、そうやって祈ってた訳です。
     そうすると、私が計(はか)らって何かが
    起こった訳ではなくて、神様の方で計らって、
    そうして、お前の生命はもらった、覚悟はいいか!
    と聞こえた時に、私はハイと言えたんですね。
     ハイと言った時に、一人の平凡な青年だった
    者が、運命がコロッと変わってね、今こういう風
    になって、今もこうやって説き続けているわけ
    です。
              (翌日に続く)

    (四)宝について(2)

    • 2014.04.24 Thursday
    • 06:26
            (前日からの続き)
     人間というのは、何だかんだと思うもんですね。
     今晩のご飯は何かしらとか、人としゃべっても
    何か色々と浮かんで来るもんでしょ。
     ところが、全く何も考えちゃいけないということ。
     例えば、雨の降る日に傘もささずにね、車道の
    真中を歩いて、さあどうなる?というような事を
    させられたわけですよ。だけど私はもともとが
    常識的な人間で、常識から一歩も出たことがない
    人間でね、カチンカチンの人間ではなかったけれど、
    そういう常識的なところを持たされた人間が、
    そういう一見すると非常識なところを通ってね、
    そうして超常識にさせられたというのは、個人
    としてはとても辛いことだった。けれども、それを
    通して、結局は人間の智恵ではなくて、肉体を
    もって生きているということは、神様の智恵が
    神様の方から流れてくるんだということが実感
    として判った。自分が直霊に合体した時に、自分の
    身体でもって判ったわけですね。心でもって判った
    わけですね。

    それで、人間というのは、誰一人として例外なく
    そういう風になっていけるということです。つまり、
    人間は、我が有って苦しむけれども、我という
    ものが無くなって空っぽになった時、神の智恵、
    神智に満たされて、自分自身を大事にして、相手も
    大事にして、自分を赦し相手も赦し愛してゆく時に、
    本当に朗らかになってゆく。
                   (翌日に続く)

    (四)宝について(1)

    • 2014.04.23 Wednesday
    • 07:25
     話すときには何にも考えていないんです。空っぽ
    なんです。思い浮かべるということもない、流れて
    くるままにしゃべります。
     どこかの本にも書きましたけれど、うしろに
    釈迦がいたり、キリストがいたり阿弥陀さんが
    いたり、まあ色々忙しいわけですね。
     私はその司会役をやっている。かといって、私の
    自分の中の人間性が壊れるということは全く
    なくって、五井昌久という人間性でもって
    しゃべっている。皆んなそう思っているけれども、
    私には私というものは全く無いんですね。
     私心とか、あいつが憎いとか、そういう想いが
    全くなくって、ただ相手の心が映って来る。
     例えば、私に何を聞きたいのか、この人にとって
    何を答えてあげれば一番本心を開発してゆけるか、
    そういうところだけを見て、私という個人が何かを
    判断するのではなくて、そこで私を支えている
    守護霊や守護神、神様の方で必要な言葉や知恵を
    与えられて私がしゃべっている訳ですね。
     そういう風になるまでに三ヶ月間位、想念停止
    というものをやらされたんですね。それは本の
    中にも書きましたけれど、本当に思っちゃいけない、
    何にも考えちゃいけないとね。
                     (翌日に続く)

    (三)印とは(3)

    • 2014.04.22 Tuesday
    • 08:56
              (前日からの続き)
    一人一人の魂、一人一人の本来心というものを、
    厳粛なる事実として覚知して、神様ありがとう
    ございます、私達一人一人が働き人になりましょう
    という心境になって来た時に、初めて法則の光が
    可能になったんです。もちろん、我々自身霊なる
    存在ですから、いちいち肉体通さなくてもいいじゃ
    ないですかと言われそうですが、やはり、この世に
    生きている限りは、この肉体を通って光がふりまか
    れないと、万物の生態系が破壊されてしまう。
     肉体を通して、光が光としてふりまかれて
    いくことが、全体の調和の方向へもっていくのです。
     三次元とか四次元とか、何か段階があるみたい
    ですが、もう皆さんの身体も心も、意識しなくても、
    ずい分変わって来ていて、印も流しやすくなって
    いる。皆さん自身が伝導体となって、印により、
    光を受け光を放つことにより世界を平和へと導く
    ことに間違いないと思います。

    (三)印とは(2)

    • 2014.04.21 Monday
    • 06:03
              (前日からの続き)
     人間の身体を通すということは、我々が実際に
    三次元のこの世界に生きていますから、その肉体は
    非常に不自由なものだけれども、そこを通して、
    自分の奥のからだに呼びかけていく、流していく
    ということが要るわけです。本当は、肉体から
    幽体へ、幽体から霊体へ、霊体から神体へと何重も
    あるからだを、ずーっと奥へ奥へといきますとね、
    最初からやっていくと非常に辛いわけですね。
     全然世界が違う、波動が違う。粗いところから
    精妙なところへいかないといけないのですが、今回
    法則の印を降ろすということは、一つの時期が
    整ってね、皆さんの想いがどうであれ、意識がどう
    であれ、身体全体が変わってきてね、スイッチが
    切りかわって、祈っていてもいなくても、そういう
    ことも超越して呼吸が出来る。そういうような
    存在に変わってきている。

     そうなると今度は、三次元のからだであろうが
    何であろうが、奥の世界へ本心の方へ直に光を
    流していく。そのための印を降ろしたとしても、
    肉体が消滅することもない訳ですね。
     肉体がバラバラになって死んでしまったと
    いうことが起こらなくなって来たんですね。
                 (翌日に続く)

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